三重県鈴鹿サーキットで第5戦が行われました。シリーズとして4年ぶりに『ポッカ1000キロ』となり、長丁場のレースとなりました。前回のSUGOではエアコンを積んで走りましたが、先に行われたGT合同テスト(8月8日〜9日)でマシンセッティングを確かめた結果、今回はエアコンを積まずに挑みました。その代わりに、マシンセッティングの幅が広がるため、その確認作業から入っていきました。
練習走行で予定通りのメニューをこなすことができ、ノックアウト予選に臨みました。僕はQ1とQ3を担当しました。Q1で使ったタイヤはQ2でも使うため、1周でタイムを出せるように集中しました。途中赤旗でセッションが中断しましたが、集中してアタックすることができ、Q1をクリアしました。
Q2も年弘さんのアタックで無事にクリアし、年弘さんからのインフォメーションを元にセッティングの調整をして、最後のQ3に臨みました。少し雲が多くなり、涼しくなったタイミングでアタックへ入りました。自分としてはミスもなく、攻めることができましたが、6番手タイムでした。
前日のミーティングから決勝に向けてのセッティングを試したかったのですが、夜の間に雨が降ったため、ドライコンディションで走ることができませんでした。しかし、決勝前の8分間の走行での感触がよかったので、そのままのセッティングで決勝に臨みました。
今回のレースでは、自身初となるスタートドライバーを担当することになりました。スタートではポジションを落とさないように注意しながら加速していき、ポジションキープで無事に1周目を終えました。それから、前の集団に離されないように追いかけていきました。
300クラスが出てきた10周目、うまく300クラスのマシンを利用しながら12号車を抜き去り、5番手に上がりました。しかし19周目には、周回遅れの混乱でポジションを落としてしまいました。それでも23周目に23号車を抜いて、再び5番手にポジションを戻しました。その後、できる限りピットインのタイミングを延ばし、35周目に1回目のピットイン。年弘さんにドライバー交代しました。
年弘さんは順調に周回を重ねていき、61周目にセーフティーカーが入りました。そしてピットレーンがオープンになった64周目にピットに入り、再びドライバー交代しました。自分がコースへ戻ったあとも順調に走行することができ、81周目にはついにトップに浮上しました。それから燃費とタイヤマネージメントに気をつけながら周回を重ねていきました。
しかし、92周目のホームストレートで突然右リアタイヤがバーストしてしまい、翌周に緊急ピットイン。ドライバー交代は行わず、マシンの修復、タイヤ交換と給油を済ませ、再びコースへ戻りました。とても長いスティントになり、結果的に2時間弱ドライブすることになりましたが、集中して走りきることができました。121周目にピットインし、年弘さんに交代しました。
夕暮れが近づき、レースはいよいよ終盤戦に突入しました。151周目に年弘さんがピットイン。最後のスティントを走るため作業を済ませ、コースに復帰しました。この時点で7番手につけていましたが、すぐに6番手の19号車に追いつき、抜くタイミングを狙っていました。
156周目、スプーン2つ目でバランスを崩した19号車の横に並び、130Rで前に出ることに成功しました。しかし、その直後、再び右リアタイヤがバースト。マシンのコントロールを失ってクラッシュ。マシンが大破してしまいました。すぐにドクターヘリで病院に運ばれることになりましたが、幸いにも当たり方がよかったのか、僕自身には大きなケガはありませんでした。
レース結果は156周で完走扱いとなり、『インターナショナル ポッカ1000キロ』は10位という結果に終りました。
今回のレースは残念な結果となりましたが、レースを振り返ると、非常にいい内容の走りをすることができたと思います。現状のパフォーマンスを発揮できたと感じています。また初めてスタートドライバーを務め、また新しいレースの駆け引きを勉強することも収穫でした。
最後に大きなクラッシュを喫することになりましたが、迅速に対応してくれた方々に心から感謝しています。病院での精密検査の結果、身体には異常がありませんでした。次の富士までには気持ちを入れ替え、優勝を狙いたいと思います。